萩市堀内売土地A 萩城三の丸 旧厚狭毛利家敷地跡地(一部) 幕末不動産
おすすめポイント!
幕末不動産シリーズです。本敷地は、萩城近くの萩城三の丸にあり、中国地方を統一し大大名へと成長させた毛利元就公の5男:毛利元秋公を祖とする厚狭毛利家の旧屋敷跡地内と推定しております。江戸時代には、厚狭毛利家が所有するとても大きな屋敷や敷地(約15,500㎡/約4,688坪)があったそうです。近くの場所に長屋の一部が現存してるだけですが、一部だけでも全長約51.5mというあまりの長大さに圧倒され、厚狭毛利家がいかに毛利家一門として重要なポジションであったのでしょう。
また、本敷地の近くには萩城二の丸、本丸へと続く二の丸南門の大きな石を積み上げた石垣が残存し、そこには、本年度令和8年度の大河ドラマ”豊臣兄弟”に登場中の、長州藩の藩祖:毛利輝元公(毛利本家/毛利元就公の孫)の銅像が建立されています。その毛利輝元公は、萩城を築城し、萩城下町を形成していきました。昨年度令和7年には、萩市による毛利輝元公没後400年祭が開催され、同時に、広島市においても、広島城や広島城下町の原形を作った毛利輝元公没後400年記念事業が開催され大いに盛り上がったそうです。
内容が少しずれましたが、厚狭毛利家という名の通り、現在の山陽小野田市の厚狭地域を領地としており、厚狭毛利家のお殿様や家臣は、萩城そばの大きなお屋敷と厚狭のお城(居館)を定期的に行ったり来たりされていたのでしょう。幕末の渦中においては、当時の厚狭毛利家のお殿様:毛利能登公は、諸事情により一度は謹慎の身となりましたが、長州藩家老及び毛利家一門として復職し、第13代長州藩主毛利敬親公(毛利本家)を補佐し、長州藩は、徳川幕府軍15万の大軍からなる第2次長州征伐を見事に耐え凌ぎ、その後、長州藩主毛利敬親公を中心とした討幕を成功させ、”明治維新”という新しい日本へと変貌させていきました。また、その毛利能登公へ嫁いできた妻:毛利勅子(ときこ)姫においては、徳山藩主第8代毛利広鎮の子となり、明治維新後、厚狭周辺地域の子供達のために学問や教育に尽力し、船木女児小学を開学し自ら校長となり、女子教育のパイオニアとして活躍しました。現在は、山口県立厚狭明進高等学校へと改称され、お姫様自ら率先し教育の第一人者として地域の子供達のために多大に尽力した功績が、”毛利のお姫様伝説”として厚狭地域では今も語り継がれています。その実の兄弟には、徳山藩最後の藩主第9代毛利元蕃公、宇部市の宇部護国神社にて神として祀られている長州藩筆頭家老及び宇部領主を務めた第24代福原越後公、山口市の野田神社にて神として祀られている長州藩最後の藩主第14代毛利元徳公、山形藩主や館林藩主へ就任した秋元志朝公など歴史に名を残した実の兄弟が多く、厚狭毛利家には”毛利勅子姫あり”と言われていたのかもしれません。その後、厚狭毛利家は、毛利本家と共に華族に列し、本敷地は、格式、品格、ロマン、歴史や伝統のあった厚狭毛利家の萩の実家と呼べる場所だったのかもしれまん。
弊社は歴史の専門家ではなく、独自の調査により記載内容に曖昧な内容、逸話、根拠のない内容、大げさな内容や誤り等がある場合があります。また、記載内容の曖昧な内容、誤った逸話、根拠のない内容、大げさな内容や誤り等がある場合の責任は一切負いかねますので予めご了承下さい
物件詳細情報
- 所在地
- 萩市大字堀内82番4他
- 価格
- 500万円
- 交通
- JR山陰本線玉江駅徒歩18分
- 小学校・中学校
- 萩市立明倫小学校、萩市立萩西中学校
- 土地面積
- 322.01㎡/97.40坪
- 設備
- 上水道、公共下水
- 現況
- 更地
- 取引形態
- 仲介
- 建ぺい率
- 50%
- 容積率
- 80%
- 用途地域
- 第1種低層住居専用地域
- 地目
- 畑
- 特記事項
- 現況渡し
特別用途地区、要農地法許可、歴史的景観保存地区
萩御城下絵図 山口県文書館所蔵 ☆のマークが本敷地周辺と推定
系図 厚狭毛利家始祖 毛利元秋公
厚狭毛利家長屋門画像 ご参考まで
銅像 毛利輝元公画像 ご参考まで
物件マップ
物件一覧
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