明治150年記念 宇部藩
宇部市小串にある、宇部護国神社様へ参拝させていただきました。

幕末時に京都御所で起こった”禁門の変(蛤御門の変)”で長州藩の総責任者として自刃し長州藩を救った、長州藩筆頭家老及び宇部藩藩主(正式には宇部領主):福原越後公が主神として祀られています。
福原家は、代々"宇部のお殿様"であり、毛利福原、大江福原や長井福原とも言います。元々、毛利家や長井家と兄弟です。
宇部市HP
福原家文書|宇部市公式ウェブサイト (city.ube.yamaguchi.jp)
江戸時代|宇部市公式ウェブサイト (city.ube.yamaguchi.jp)
長州藩最後の藩主第14代毛利元徳公と福原越後公の二人は徳山毛利家生まれの兄弟です。また、19歳で長州藩主となり、筆頭雄藩として討幕を成功させた幕末の名君、長州藩第13代藩主 毛利敬親公は福原家生まれです。その福原家は、長井家の1家が福原家になったそうです。
少しずれますが、明治150年を記念して平成30年に山口県立美術館で特別開催された毛利敬親展では約2万人の観客を動員し、
皇室と毛利家との関係、皇族大名であること、華族最高位の公爵家であること、討幕の成功、超一級の国宝や日本の大変革期の超一級の歴史的資料等がずらっと並び、さすがは長州藩主 毛利家と感じさせられる豪華絢爛な内容でした。
(毛利 敬親公 ”神”となる)
討幕や明治維新へと導いた大偉業により、毛利敬親公の逝去後、野田神社において子の毛利元徳公と共に”神”として祀られているのです。子の毛利元徳公にあっては、逝去後、国葬まで行われたそうです。さすが、華族最高位の侯爵家です。
毛利家は日本の歴史です。
https://www.yma-web.jp/exhibition/special/archive/mouri/

早くから売り切れた特別開催を記念した内容の本です。

長井家の家系図の一部抜粋です。

話は戻りますが、当時、京都御所で起こった”禁門の変(蛤御門の変)”では、長州藩総責任者:福原越後公(殿)と共に宇部からも沢山の方々が宇部兵として出陣されました。
宇部兵の方々は、”もし、幕府軍と武力衝突となり自分達の身に何があっても、殿(福原越後公)を必ず守り、長州そして宇部へ必ず連れて帰る”と互いに誓い合っていたそうです。
長州藩はその禁門の変(蛤御門の変)で幕府軍と武力衝突となり破れて敗走してしまいます。その後、幕府軍による第一次長州征伐となります。総責任者であった福原越後公(殿)は長州征伐から長州藩を守るために責任を取り自刃します。これにより幕府による第一次長州征伐は終結しました。
(福原 越後公 ”神”となる)
このことから長州藩を第一次長州征伐の危機から救ったとして、宇部護国神社の主神として祀られ語り継がれているのです。
禁門の変(蛤御門の変)より少し前に長州藩を国政へと入らせ航海遠略策を説き、朝廷と徳川幕府の仲介役を行った長州藩家老:長井雅楽公の自刃した方法を、福原越後公は模して自刃しました。福原越後公だけでなく同じ禁門の変の責任者の長州藩家老:益田親施公、国司親相公も模して自刃したとされています。
春の桜の季節には、宇部護国神社において、”福原まつり”が毎年開催され、桜の名所とされています。
http://ube-kankou.or.jp/event/detail.php?id=872


そして、宇部市小串にある、宗隣寺様へ参拝させていただきました。
こちらには福原越後公の嗣子、福原芳山公の石碑があります。宇部藩最後の藩主(領主)です。




第二次長州征伐(四境戦争)

福原芳山公が藩主(領主)の時に、第二次長州征伐に直面し、幕府軍15万が長州藩全土を包囲します。そして四境戦争が始まります。幕府軍15万に対し、福原芳山公は、長州藩筆頭家老及び宇部藩主(領主)として、長州藩主の毛利本家を補佐するとともに、長州兵や宇部兵を率い、芸州口(現在の広島県と山口県の県境)や小倉口(現在の福岡県と山口県の県境)の戦いで指揮を執ります。長州藩は事前に薩長同盟によりイギリスから薩摩藩名義で最新鋭の武器を入手することができ、長州兵や宇部兵の方々も最新鋭の武器を装備し、圧倒的な幕府軍の軍勢に対しても日頃から訓練された巧みな戦術で勝利していきます。
宇部兵の方々も第一次長州征伐で主君であった殿(福原越後公)を失った悔しさの中、失った殿の意思を心にいだき、若殿(福原芳山公)の指揮のもと幕府軍と戦いに勝利を収めていったと思います。また、長州兵や宇部兵の方々は、最後の一兵になっても闘い”長州藩を守る”意気込みだったそうです。
(百万一心から長防臣民合議書へ)
かつて、中国地方を制し大大名へと成長させた、とても有名な毛利元就公の”皆で力を合わせれば何事も成し得る”という意味の格言”百万一心”が、長州藩全域に配布された”武士である・ないに関係なく長州藩民の皆で共に戦い、迫り来る幕府軍に徹底抗戦しよう”ということを呼びかけた”長防臣民合議書”へと繋がり、薩長同盟等も大きく影響し、迫り来る15万の幕府軍を撃退させ、最終的に討幕を成功させたのではないかと思います。
百万一心
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%B8%87%E4%B8%80%E5%BF%83
長防臣民合議書
当時、長州藩全域に配布された書物です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%98%B2%E5%A3%AB%E6%B0%91%E5%90%88%E8%AD%B0%E6%9B%B8
萩市立図書館所蔵

新たに明治維新を迎え、福原芳山公は、日本人初とされるイギリスの法廷弁護士(バリスター)の資格を取得し活躍しました。
また、炭鉱や石炭業など宇部の発展に多大な貢献をし、宇部の炭田の礎を築きました。
こちらが、宇部市と東京都内港区に本社を置く、大手総合化学メーカー:株式会社 宇部興産へと繋がっていくのです。
父:福原越後公、子:福原芳山公ともに幕末の動乱から明治の近代国家へと成長する激動の時代を生き、
宇部の人々を想い、宇部の平和や発展を願った、”宇部のお殿様”として語り継がれ、今なお皆様から親しまれ愛されているのです。



福原家の皆様の益々のご健勝並びにご活躍を心よりお祈り申し上げます。
株式会社 宇部興産様及びグループ会社様の益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
万一、記載内容に誤りやおおげさな内容等がありましたらお許し下さい。









